小説を書いている、という話になった時、
どんな小説を書いてるんですか? と必ず訊かれる。
推理小説ですか? SF小説ですか?
それとも村上輝樹さんだから、村上春樹みたいな小説ですか? とよく訊かれる。
俺は村上やけど、春樹さんよりは、村上龍さんの作品の方が、俺の書きたいものに近いと思う。
俺が書いているのは、名付けて私小説メルヘンとでも言おうか、
自分が体験した話をベースに、必ず希望で終わる物語。
エンターテイメント作品やなくて文学作品かなと思っている。
普段読書をしてる人には、そんな説明で解って貰えるのだが、
滅多に読書をしない人には文学作品というのがどういうのか解って貰えない。
あまり小説のことに詳しくない人に、どんな小説を書いてるのですか? と訊かれたら、
面倒なので、太宰治みたいな小説やと応えたりしている。
読書をしない人でも、太宰治というと納得して貰えるから。
太宰治の知名度を改めて実感している日々。
実際俺の書いている小説は、俺の書きたい小説は太宰治とは全然違うし、
俺は太宰治があまり好きではなかった。
先日、通りがかりの古本屋の店頭で100円で売ってた『ヴィヨンの妻』を買った。
この作品、勿論過去に読んだことはある。
この作品だけやなくて、太宰治の作品は殆ど読んだことがある。
しかし俺は太宰治が好きではなかった。
俺は今は正社員で介護職員をやっているが、
物語を創って生きて行く為に、目茶目茶多くの人に迷惑かけたり、
精神を病んだり、借金を増やしたり、駄目な人生を送ってきた。
でも、自分が駄目な人間であることを開き直ったことはない。
社会や家族や友人のせいにしたこともない。
その日の生活の金を稼ぐ為に、肉体労働なんかもやった。
太宰治の小説を読みながら、なんかバイトでもして働けよ、と思ったりもした。
だから俺は太宰治が好きではなかった。
久々に『ヴィヨンの妻』を読んで、二年ほど前に観た同じ題名の映画を思った。
宿直明けの映画の日に新宿に観に行った作品で、
浅野忠信と松たか子ちゃんが主演の映画。
『ヴィヨンの妻』だけでなく、『桜桃』や『人間失格』と、
太宰治の色んな作品のドラマチックな場面がいい感じに纏められた作品だった。
久々に『ヴィヨンの妻』を読んでみて感じた。
太宰治は結構いい奴だったのかも知れないと。
俺がいつもこのブログの記事で書かせて貰っているように、
必ず一つの記事の中に何か教訓がなければならないという約束、
太宰治の作品にもそれがある。
そして自分の話を書きながら、これは君のことであるのかも知れないんだよ、
という普遍性を備えた文章、それも俺がこのブログで心掛けていることだが、
太宰治の文学が愛されているのは正にその部分やなと感じた。
俺はこれからも小説を書いて行く。
正社員になって、今までのように書くことが一番大事という生き方を、
ちょっと変えてみたその時に、久々に太宰治作品と出会ったことで、
自分がこれから、介護の仕事やりながら文学をやって行くということを、
見詰め直せた気がした。
物語の神様はほんまにおるんやろうねぇ。
また誰かに訊かれるやろう、どんな小説を書いてるんですか? と。
太宰治みたいな文学作品やと、俺はこれからも応えたりするんやろうなと思った。
さあ明日も心に優しい言葉を探す冒険に行こう。
輝樹